教授コラム  

2つのビッグニュース
大阪大学大学院医学系研究科
情報統合医学皮膚科学
教授 片山一朗

 退官を前に嬉しいニュースが二つ飛び込んできた。一つは室田浩之准教授が、五月一日付けで長崎大学皮膚科教授に就任されることが決まった事である。室田先生は2004年三月に私が長崎大学教授から大阪大学教授に異動した際、四月一日付けで阪大皮膚科に助教として来て頂き、以後14年間、多くの先生を育てて頂いた。私が大阪大学に着任時、当時の研究科長からは世界に発信出来る研究と人材の育成を、また病院長からは大学内での他科との連携、関連病院の再編と人的交流の強化に尽力するようにとのミッションを頂いた。室田先生は大変な努力家であり、一つの事に拘りを持ち、徹底的に物事を追求される性格で私の対極におられ、良いコンビを組んで頂いた。また松山俊文教授に指導して頂いた長崎大学大学院腫瘍医学講座にも長く在籍されて研究を続けられ、最新の分子生物学な研究手法を阪大皮膚科に導入して頂き、その後は世界初の汗腺の4次元画像の撮影や痒みの新たな認知機構の発見など世界に発信出来る素晴らしい研究成果を創り出して頂いた。
 彼はまた、皮膚疾患や自然現象の本質を一瞬にして捉え、それを簡潔なイラストにして残す素晴らしい才能があり、彼の紙カルテからは多くの事を勉強させて頂いた。彼が大阪にきた2004年は教授交代と、スーパーローテート開始の年で、2年間新入医局員がこない時期が続き、人事面でも大変苦労したが、彼と始めたアトピー外来と膠原病外来を中心に関連病院とも連携が強くなり、現在では大阪大学皮膚科の関連病院は部長の専門性が明確になり、ローテーターの数や研修プログラムは全国でも有数の質、量に育ってきており、今後もその維持と発展を期待する次第である。
 私が長崎大学皮膚科教授在任中、大変お世話になった故多久島俊行長崎大学皮膚科同門会長には、私が大阪に異動する際にも同門会を纏めて頂き、「大阪でのさらなる飛躍を願います」とのお言葉を頂いた。今回、私の退官に合わせるように、室田先生が大阪で勉強された成果を長崎に持ち帰り、長崎の地に新しい皮膚科学教室を造られることに不思議なご縁を感じるし、多久島先生(写真)への御恩に少しでも報いることができたことにあらためて感謝したいと思う。
 
 もう一つの嬉しい知らせは、金田先生が長年に亘り、取り組んでこられた結節性硬化症の外用治療薬としてAngiofibromaなどの皮膚病変に効果を示すmTORC1阻害外用薬(シロリムスゲル)が世界に先駆けて承認され、プレスリリースされたことである。今まで安全で有効な治療薬がなかった結節性硬化症の皮膚病変に対して有効な外用治療薬が世界に先駆けて大阪大学皮膚科から創出されたことの意義は大きく、今後、グローバルな展開や皮膚というDrug delivery systemを用いた創薬にも大きなインパクトを与えることが期待される。まさに私の着任時のミッションが退官にあわせて承認されたことも不思議な縁を感じざるを得ない。AMED、大阪大学未来医療センター、薬剤部などの支援で、阪大皮膚科発の治療薬が世界で使用される日も近いと思うし、何より世界中の患者さんが待ち望んでいた薬が世にでることで、今まで治療手段のなかった遺伝性疾患患者さんの福音となる大きな一歩だと思う。私が大阪大学皮膚科教授に選出されたのは2003年の11月下旬で、着任前、何回か冬の大阪に来たが、大きな、しかし、人気のない研究室で仕事をされておられたのは金田先生と技官の西田君だけだった。そのような中で非常勤として孤軍奮闘されていた金田先生の外来診療、研究、申請業務の大変さを思い出すにつけ、本当に心からお祝いを述べたい。
 
 今の時代、皮膚科が医療の中でどのように貢献できるか真剣に考える時であり、大学や国、診療科を超えて皮膚科医師、研究者が協力し、難治疾患の病態解明、創薬に向け果敢に取り組んでくれる次代の皮膚科医を育てていかないと、大学皮膚科が無くなる日が来るかもしれないと危惧する。

「明日世界が滅びるとしても、今日、君はリンゴの木を植える」。この言葉は開高健が紹介して有名になったルターの言葉とされている。私が長崎を離れる時にも医局の若い先生にこの言葉を残して来たが、今、長崎では何本かのリンゴの木が立派に育っているようである。お二人とって、これからが大事な時間の始まりであり、大きく変わる時代の中で、時間の経過は早い。たくさんのリンゴの木を育て、豊かな果実を次代に伝えてください。


大阪大学皮膚科教授 片山一朗
平成30(2018)年3月28日