教授コラム  

2017年を迎えて: 「Fluctuat nec mergitur」
大阪大学大学院医学系研究科
情報統合医学皮膚科学
教授 片山一朗

 皆さん輝かしい新年を迎えられ、一年の夢に満ちた計画や皮膚病診療に関する新たな抱負を考えておられることと思います。
 私も2018年度の退官を控え、最後の主催学会となる退任地方会や、第2回東アジア白斑学会などの準備を始めました。また臨床、基礎研究もやりたかったことに目処がつき、皮膚科医になった頃考えていた事、そしてそれぞれの時代の勤務先で生じた疑問に対する解答 が自分なりに達成、あるいは解決できたかと考えています。これからも体力、知力の続く限り未知への好奇心を大切にして行きたいと年頭にあたり考えを新たにしています。
 そのような中、昨年の英国のEU離脱やISのテロが拍車をかけた反グローバリズムの大きなうねりは、次期45代アメリカ大統領にその象徴ともいえる ドナルド・ジョン・トランプ氏が選ばれた事で、さらに大きくなり、トランプ現象が2017年の世界を飲み込もうとしているようです。今の日本そして欧州、アジアと旅をしても、旅行者に見せる街の顔は平穏で、行き交う人々も楽しそうな語らいの中でいつもと変わらない毎日を過ごしているように見えてきます。しかし、マスコミなどの報道を見る限り、大きな歴史の変革の波が自由な世界を変えつつあるのは確かなようで、その先に何が待ち構えているのかは誰にも分からない、あるいは分からない振りをせざるを得ない状況になりつつあるのかと思います。
 医学の分野においても昨年、我々皮膚科医の将来に直接関わる三つの大きな問題点が出てきました。一つは皮膚科医が取り扱うメラノーマの治療で最初に保険適応となった免疫チェックポイント阻害薬の薬価が決定後、その高額さ、有効例の選定と中止時期の問題、適応拡大からの流れから、一気に薬価の大幅な切り下げと毎年の薬価の見直し案などが厚労省を飛び越し、閣議決定されたことです。これは、今後の創薬開発への企業や研究者の意欲を削ぐ可能性、政府がメガファーマの圧力とどこ迄対決できるか、そして国がどこまで高額医療を保証するのかという大きな問題点を白日の下に晒してしまいました。二点目は人工知能(AI)が大きな進歩を遂げ、今まで勝てなかった棋士をもやぶる時代となり、Scienceの今年の科学の発見トップ10に挙げられたことです。皮膚科のように見る、診る、視る、観る、省るなど五感、時に第六感を駆使して診断を行い、治療を考えていく分野は当分AIも及ばないと楽観視していた皮膚科医も多かったと思いますが現実は、もっと早く進むと予測するのは私一人ではないと思います。「暗黙知」で代表される皮膚病の診断もAIが人と同じ経験則を持ち、学習能力を進化させれば、今の皮膚科学が根底から覆る日も近いかと思います。
 三点目は昨年7月に一年間の先送りが決定した日本専門医機構主導の新専門医制度の中で基盤19学会の2階部分に相当する日本アレルギー学会などの位置づけや教育プログラム,認定,更新基準が不透明であることで、皮膚科専門医とアレルギー専門医がアトピー性皮膚炎、蕁麻疹やアナフィラキシーの診療でどのように棲み分けを諮るか、専門医加算がどうなるのかも明確な指針は見えてこないようです。今後,新しい専門医制度の下で,エピペンや舌下免疫療法、抗体療法などの高額医療をアレルギー専門医のみが行えるのか,関連各科の専門医が行えるのか、などの議論も起こるかもしれないと考えます。また以前、我々が厚労省の班研究で明らかにした,アレルギー疾患の診療を適切に行う事で医療経済学的に大きな改善が得られる事も重要な論点で、皮膚科専門医とアレルギー専門医のどちらが主体性を持ってアレルギー疾患を治療して行くかが問われる年になりそうです。乾癬の分子標的薬、メラノーマの免疫チェックポイント阻害薬、アトピー性皮膚炎の新規治療薬の登場は、かつての帯状疱疹に対するアシクロビルがその劇的な有効性で一気に内科医が帯状疱疹を診る様になった研修医の頃を思い出します。実際、最初に診断さえつけば、あとは臨床検査所見や病理診断医のコメントを錦の御旗として内科医が多くの皮膚の難病を治療する時代が迫っているようですし、海外などでは既に患者の奪い合いが始まっているとも英国の知人から聞きました。昨年,アレルギー疾患対策基本法案が可決されたことで,アレルギー疾患に関わる国会での審議に対する国会議員の熱の入れ方が大きく変わる可能性が考えられ、またアレルギー疾患診療の拠点病院が全国に再編、設置されることも報道されています。このような大きな変革の波に対応するためにも、皮膚科医の専門性をより高めるような学会を通じての啓蒙活動が何より大事と考えますし、昨今とみに感じる、皮膚科における基礎研究の衰退とメガファーマへの従属からの脱却、そして大学においても皮膚科の伝統を継承し、その中から臨床医学に還元できる新たな視点の研究、Sick patientをしっかり診療できる次世代医師の教育、そしてAIの積極的な応用を先行して考えて行く事が我々、大学そして基幹病院の指導者の責任と考えます。標題の「Fluctuat nec mergitur」は私の好きな開高健がパリ市の標語(「どんなに強い風が吹いても、揺れるだけで沈みはしない」ことを意味するラテン語)から引用、紹介し、よく知られるようになった警句で、彼は「漂えど、沈まず」という言葉で、小説「花終わる闇」などで使用しています。2015年11月13日は、ISの無差別テロがパリ市民を襲った価値観の大きな分岐点として、西洋史に記憶される日と考えられていますが、若い先生方にも、2017年の大きな変革の時期にしっかりと自分の羅針盤を持ち、嵐の中でも、沈まず、正しい方向を見据え、舵を取って頂きたいと願います。

2017年元旦

平成29年1月1日