医局員コラム

宮坂昌之先生の最終講義 大阪大学大学院医学系研究科分子病態医学
皮膚科教授 片山一朗

2012年3月、宮坂昌之教授(免疫動態学)が大阪大学医学部を定年退官され、その最終講義を聞く機会があった。宮坂教授は我々皮膚免疫学をテーマとする皮膚科医にとっては神様のような存在で、学会のみでなく、エレベーター中や構内などでいつお会いしても全身にオーラを発しておられる先生であった。弟さんの宮坂信之東京医科歯科大学病院長ともども若い頃から剣道をたしなまれ、お二人とも凛とした古武士を彷彿させる風貌や言動が大変良く似ている。退官講義では先生の一貫した研究哲学やその方法論、日本における免疫学の発展の中での御自身による研究の評価に加え、長野県上田市での幼少時代の思い出から始まり、スイスバーゼルでの留学の話や大阪大学医学部着任前後の裏話など興味尽きないお話しが続いた、その中で宮坂教授が再三取り上げられた以下の言葉が心に残った。皮膚科の若い先生に紹介したく免疫動態学教室ホームページより一部を引用させていただいた。


  " In Vivo Veritas"−時間のかかる免疫学  宮坂 昌之(大阪大学名誉教授)

 ワイン通の間によく知られている言葉に"In Vino Veritas"というものがある。これはラテン語で、直訳すると、ワイン(Vino)の中に真理(Veritas)がある、すなわち、ワインというものは奥行きの深いもので、ワインを飲むとともに次第にその真理が見えてくる、ということのようである。
 私が留学したオーストラリア国立大学ジョン・カーティン研究所のBede Morris教授は、In vivoの免疫学にこだわり、生体内でのリンパ球の再循環現象を仔細に調べ、リンパ球、樹状細胞は常に生体内を徘徊するダイナミックな存在であり、免疫反応のダイナミズムはこれらの細胞の動態変化を反映するものであるということを主張した人である。このMorris教授は、自他共に認める大変なワイン通で、よくIn Vino Veritasという言葉を用いながらわれわれにワインの蘊蓄を語ってくれた。彼のワイン談義が進むにつれ必ず出てくるのは、Vino(ワイン)も素晴らしいが、Vivo(生体)の精妙さも負けず劣らず素晴らしいということであった。そしてMorris教授は"In Vino Veritas"を"In Vivo Veritas"と言い換え、まさに「生体の中に真実がある」という金言ともいうべきものをひねり出した。
 私はオーストラリア留学以来現在に至るまで、リンパ球ホーミングの分子機構に興味をもち、研究を続けているが、研究を続ければ続けるほど、"In Vivo Veritas"という言葉の重みを感じるとともに、生体の中のイベントの精妙さの仕組みをもっともっと知りたいと思うようになってきている。そして、この言葉の素晴らしさ、大切さを研究室の人たちにも是非知って欲しいと思い、"In Vivo Veritas"を額に入れて、毎年、研究室から卒業していく人たちに送っている。医科学の研究をするにあっては、in vitroの仕事をしていても、分子中心の仕事をしても、常に生体の中で何が起きているのか?という視点を持ちながら仕事を進めることが大事で、生体の中にあることを知ってこそ、その研究の価値が出ると考えているからである。
 私の研究しているリンパ球ホーミングの分子機構は、分子レベルでの研究が進むにつれ、リンパ球特異的接着分子(ホーミングレセプター)、血管内皮細胞特異的接着分子(vascular addressin)や、リンパ球上のインテグリンを活性化するケモカイン群など、舞台を構成する様々な役者たちの存在などが次々に明らかになっている。しかし、in vitroでは、ホーミングレセプターといわれるL-セレクチンとその糖鎖リガンドとされる硫酸化シアリルルイスXだけでリンパ球のローリング現象が起こり、そこに特定のケモカインを作用させるだけでナイーブTリンパ球の接着の誘導をひきおこすことができるものの、これはホーミング現象のほんの一部を反映しているだけである。HEV (high endothelial venule; 高内皮細静脈)においてナイーブB細胞の接着制御をするケモカインはまだ明らかになっていず、また、メモリーリンパ球や他のリンパ球サブセットのリンパ球の局所へのホーミング機構にも不明な点が多い。さらに、リンパ球が局所にホーミングした後にそこを離れるメカニズムも不明である。最近、冬虫夏草由来の新しい免疫抑制剤FTY720が、sphingosine-1-phosphate receptorに対するagonistであるとともに、リンパ節からのリンパ球移動(離脱)を抑制することが報告され、リンパ球の動態制御に新しい制御機構があることが推測されている。アトピー性皮膚炎をはじめとする慢性炎症では、局所に継続的にエフェクターリンパ球が移住し、またこれらのリンパ球が局所から離れないために炎症が遷延すると考えられているが、このような新しい分子機構は病態制御の観点からも興味深い。
 リンパ節以外の二次リンパ組織に目を転ずると、腸管リンパ組織へのリンパ球の選択的移住の問題はかなり分子レベルで明らかになってきたものの、脾臓へのリンパ球集積のメカニズムは不明である。特に、脾臓の白脾髄にはリンパ球が選択的に集積するが、どのようにしてその選択性が保証されているのかは不明である。さらに、白脾髄をさらに細かく見ると、胚中心、濾胞間領域、辺縁帯(marginal zone)が存在し、それぞれの領域には特徴的なリンパ球サブセットや樹状細胞が存在するが、この局在のメカニズムも不明である。また、肝臓や肺などはリンパ組織ではないが、正常状態で、常に多数のリンパ球が臓器内に存在する。しかしこれら臓器へのリンパ球集積の機構も明らかでない。
 より個体発生に近いレベルに目を転ずると、ここでもいくつもわからないことがある。たとえば胸腺や骨髄などの一次リンパ組織への前駆細胞の移住や、二次リンパ組織の原基への前駆細胞の移住のメカニズムである。果たして特定の細胞が目的性をもって移住(ホーミング)しているのか、それともランダムに移住したものが局所で然るべき性質を獲得しているのであろうか?このような現象には、まだまだ新しい接着分子、新しいケモカインの存在が予想されるとともに、これらの機能を時空的に制御するメカニズムの存在が考えられる。最近われわれは、ケモカインを局所で捕捉する機構には多様性があり、特定のケモカイン群は特定の場所に局在する分子群によって、ある場合にはポジティブに提示され、ある場合には不活化されることを示唆する結果を得ているが、このような分子群の存在はリンパ球の動態に関する一連の反応を時空的に制御する機構をなすものの一つかも知れない。
 これらの問題はin vivoのことであり、簡単にはin vitroの実験系として切り出すことは出来ず、その分、手間のかかる仕事になる。しかし、生体の中にあることを知ってこそ価値があるという立場から、今後さらにIn Vivo Veritasにこだわりin vivoの免疫学とそれを媒介する分子機構について研究を進めていきたいと考えている。
(文科省特定領域研究「免疫シグナル伝達」ニュース No.6 掲載、平成14年6月発行)


2012年